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第1回 羽後交通と雨後の傘

 前半は歩く取材だった。

 バスを待てば歩かずに済むけれども、雨宿りできそうにない場所に留まるのも無意味だし、歩けば取材が進んだ。かねてからの降雨予報で、梅雨の旅行だからと覚悟していた。東北には青空が似合うが、水のたまった田圃の雰囲気も悪くない。目的地に到着すると、早々と取材をすませ、やってきたバスに飛び乗った。

 降りるバス停すら調べていなかった。フリー乗降制だったため、運転士に降りる場所を言ってみたら目の前でおろしてくれた。慌てて小銭を数えて運賃箱に入れる。バスはうなり声をあげて走り出した。

 

 その瞬間気がついた。傘を置き忘れていることに。

 

 追いかけても無駄だった。折り返しを待つ手もあったが、雨がこのまま止んでくれるのを祈りながら、心待ちにしていた温泉へ。

 最初に行った温泉は地元民の交流の場のような施設で、朝から活発な秋田弁が飛び交った。夜行バスで疲れた身体を温泉で癒していると、「お兄さんどこから来たの?」と聞かれる。その人はどうやら四十年前横浜に済んでいたらしく、中華街のあたりは変わったか、横浜駅のあたりは変わったか、蒲田はどうかとしきりに気にしていた。目蒲線に揺られた記憶があるとのことだが、今の目黒線を見せたらびっくりするに違いない。

 

 温泉からあがっても雨は強くなる一方だった。バスまで時間もあったので、隣に民俗資料館があったので行ってみた。「今資料の整理中なので、ちょっと雑に並んでますけどごめんなさい」と女性の方に案内されたが、昔の暮らしを伝える資料の数々はきれいに並んでおり、どれもこれも大切に保管されていた。中でも目をひいたのは猿厩信仰の展示だった。東北では猿の頭蓋骨を馬屋の祠に祀る風習があったそうだ。小さな猿の頭蓋骨がちょこんと、大事そうに展示されていた。何かを大切に保つことにかけては、都会の人より遙かに優れている。

 

 雨は止まない。歩けば別の温泉にいけたので、ずぶぬれになりながら歩いていった。廃墟のような見た目だが、温泉の質はいいらしい。温泉マニアの血が騒いだ。

 

 残念ながら営業時間外だった。元々は朝から営業している施設だったが、変更があって午後からになったらしい。ちょっと行程的に午後まで待つのは無理そうだった。

 温泉に浸かっていればちょうど大曲へ戻るバスの時間だったのに。大きな待ちぼうけを食らうことになってしまった。大曲行きのバスも、さらに奥にある岩倉温泉行きのバスもまだだいぶ先にある。

 さきほどの施設に戻るのもしょうがないので、誰もいない店の軒先でしばらく雨宿りしていた。

 

 岩倉温泉行きのバスのほうが先に来るらしい。こうなったら最奥の温泉まで行ってみよう。終点に着いたら次のバスまでまた相当時間があるけど、温泉があるなら雨に塗れているよりずっとましなはずだ。

 村唯一のスーパーが廃墟になっているのを確認したり、田圃の様子をずっと眺めたりしていると、意外とあっという間に時間は過ぎていった。やってきたバスは先ほど乗ったものとは違う車両だった。元臨港バスの大型車である。

 

 終点の岩倉温泉では宿の目の前でおろしてくれた。川沿いにある小さな宿、周囲にはなにもない。

 音のない温泉旅館だった。ただひたすら、屋根を打つ雨の音が聞こえるのみ。日帰り入浴は四百円。大浴場の場所を簡単に説明してくれた。先客はいたものの、すぐにどこかへ行ってしまった。おそらく自家用車できたのだろう。

 宿は全体的に暗かった。必要最低限の明かりしか灯されていなかった。多くの部屋が並んでいるものの、人気はまったくない。大浴場の周囲だけ、のれんの色がわかるくらいの明るさがあった。雨はどんどん激しくなってくる。

 大浴場も簡素なものだった。浴槽が一つあるのみで、隣の女湯と壁で遮られているものの、お湯の注ぎ口が共通なため、下手すれば女湯が覗けてしまう。そんなおおらかな作りが気に入った。もちろん、隣には誰も入っていなかったけど。

 ここまで来た甲斐があったと実感させるお湯だった。肌と鼻と舌で感じる本物の温泉。ぬるい温度でいつまでも入っていられる。

 この宿は「深い眠りの宿」というキャッチコピーを使っている。水の音と、たまに聞こえるカエルの鳴き声。人里離れた山奥の一軒宿。絶え間なくこんこんと沸いてくる源泉。下界とは全く違う時間が流れていた。

 

 ずっと浸かっていると湯疲れするので、何度か休憩しながら入浴した。「お兄さんバスで来たの?」と尋ねてくる女将さん。「はい」と返事をする。「次のバスまで時間があるから、もっと温泉に浸かっていってくださいな」と女将さん。

 一時間の時間制限があったり、べらぼうに高い入浴料をとられたりする温泉がある中で、この声かけはとても嬉しかった。遠慮なく湯浴みしながらバスを待つことにした。

 

 バスが音をたててやってきた。この一軒宿がわずかに下界の時間とつながる瞬間だった。

 よく見ると一番最初に乗ったのと同じばすだった。ひょっとしたら傘がまだあるかもしれない。転回場でバスが止まったので運転士に聞いてみると、「あー営業所に置いてきちゃったよー」と残念な声。

 こればっかりはしょうがない。ただ、運転士も僕のことを覚えてくれていたようで、帰りに乗ってくれるかなと思ってたけどこなかったので、営業所に置いてきたということだった。残念ながら自分は別のバスに乗ってここまでやってきたのでした。

 雨が降っているから、ということで休憩中のバスの中に入れてもらえた。

 

 ちょっと雨が弱くなると傘を忘れやすくなること。神奈川から夜行バスで来たこと。今夜は田沢湖高原の宿に泊まること。いろいろ話していくうちに、傘を返すために営業所まで連れていってくれるということになった。大曲バスターミナルで一度運行を終え、車庫まで回送で向かうダイヤなのだけど、バスターミナルで運賃精算してもらえれば営業所まで乗せていくよ、とのこと。帰りは駅まで歩きになるけどそれでいいか、と聞かれた。

 行程もなにもなかった自分には願ったりかなったりの話だった。羽後交通の車庫はこれまで何回か訪ねたが、大曲営業所は未踏だったので、傘を取りに行くついでに車両も見てこよう。

 座って待っててくれとのことだったので、中扉の後ろの座席につくと、運転士は一番後ろの座席に横たわって世間話を続けた。田舎のバスらしいおおらかさがあってとてもよかった。どうやらその運転士、夜行バスで横浜の方へ遠出することもあるらしい。

 

 時間になったのでバスは来た道を元へと戻り始めた。地元のおっちゃんと語り合った温泉、雨宿りした場所、40分かけて歩いてきた田舎道があっと言う間に車窓を過ぎゆく。雨は次第に弱まってきて、再び僕の時間が流れ始めた。

 

 大曲バスターミナルで一回止まったあと、方向幕を回送に変え、そのまま大曲営業所へ走ってくれた。機転を利かせてくれた運転士のサービスだった。自分にとってはこの上なくありがたい。

 途中、道ばたで5Eが車庫方面に曲がっていくのが見られた。5Eとは、現在ほとんど残っていないバスの形式で、僕の好きな車両の一つだった。僕が羽後交通に乗り始めた頃はまだ各地の営業所にたくさん在籍していたけれど、現在は大曲、境、湯沢に一台ずつ残されているのみ。

 大曲営業所に到着。傘はすぐに見つかった。そして目の前には、ずっと前から追いかけていた5Eが止まっていた。

 

 ようやく会えた。

 

 遙か昔に製造されたとは思えない洗練された車両。真っ赤な車体が雪の羽後路を走る。そんな姿に感化されて、秋田に足を運ぶ衝動に何度も駆られた。

 本当に会えてよかった。胸いっぱいになりながら大曲営業所を後にした。

 なくした傘は500円で買った思い入れもなにもない傘で、なくなったらなくなったであきらめようと思っていたけれども、この土地の物を大切にする心が僕以上に優しく扱ってくれて、僕の元へと返してくれたのだろう。

 素晴らしいお土産とともに。

 5Eに会えたのも、雨に感謝しなくちゃ。

 そう考えて、角館へ向かう次のバスへ急いだ。

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